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活動報告
地声寸言『西洋美術館こぼれ話』

 フランスの建築家ル・コルビュジェが設計した東京都台東区の国立西洋美術館本館を含む世界六ヶ国計一九の建築物についてユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議」(イコモス本部・パリ)が世界文化遺産に登録しないよう勧告したと発表された。六月にパリで開かれる世界遺産委員会で正式に決まるが、登録が厳しい状況になったという。
 私は、コルビュジェについて多くを知らないが、若干思い出話がある。
 戦後、フランス政府は戦時中押収をした松方康次郎氏が戦前パリにおいて蒐集した絵画、彫刻などのいわゆる松方コレクションを日本に返還することになった。ヴァンサン・オリオール大統領で、日本の首相は吉田茂氏であった。
 松方コレクションの内容は優れたものであったから、日本は朝野を挙げてその返還を歓迎したが、さて、それをどこに収蔵し、展示するか、が問題となった。
 当時、大蔵省主計局で文部省の予算を担当していた私は、東京博物館か近代美術館に収蔵することを主張したが、吉田首相が返還を受ける際の条件として現存の博物館などではなく、新しい美術館を作って松方コレクションを収めることになっているということであった。吉田茂の代理として福永健次、小坂善太郎両氏から呼び出しを受けて大磯(吉田茂氏のことを当時そう呼んでいた)から固く言われているから、主計局案はダメだということであった。
 さて、新しい美術館を作るとなると当時のお金で設計管理に一千万円はかかるということで、コンペで決めようというと、又しても設計先はコルビュジェにすることに決っているという。私は、日本にだって優れた建築家がいるのだから、コンペで競わせたら良い、と主張したが、コルビュジェはフランス政府の注文で、大磯からの命令であるという。仕方ないので、それで決まりになった。
 さて、数ヶ月してコルビュジェの設計図をもって文部省の担当官が来たので、よく眺めると一つの発見をした。それは設計図に便所がなかったことである。
 文部省の担当官もあっと驚いたが、早速便所を入れて貰った。私は、パリは古くは便所のない建物が多く、ルーブル博物館も便所を探すのに往生したことを思い出した。コルビュジェも忘れたのだろう、と精一杯皮肉を言ってやった。
 西洋美術館と聞くとそんな昔のことを思い出す。なお、松方コレクションは全部返還されたのではなく、一部良いものが、返還されなかった、ということであったが、眞相は承知していない。
相沢英之 (平成23年5月28日)