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活動報告
地声寸言『日米繊維交渉について』

 2月13日、外務省が外交史料館で公開した外交文書のファイルの中で、1969年(昭和44年)11月、沖縄返還で合意した日米首脳会談の際、ニクソン大統領が佐藤栄作首相に繊維問題で米国側の要求事項をまとめた極秘メモを手渡したことを示す文書が明らかになった。
 その骨子のメモは次のとおりとなっている。

▽本書類は、総理が首脳会談の際にニクソンから手交された紙の内容を某事務官が記憶により記したもの
1 毛及び化合繊維製品のそれぞれについてシーリングを設ける。
2 上記シーリングの中に衣料品と非衣料品のシーリングを設ける
3 衣料品と非衣料品の中で特にセンシティブなものにつき特定の制限を設ける
4 毎年ある程度の伸び(化合繊5%、毛1%)を考慮する

沖縄の返還は核抜き、本土並みをスローガンにして行われたが、抵抗する米軍側に対する数々の対策の約束とは別に繊維交渉が問題となっていた。
 というのも、ニクソン大統領は1968年の選挙の際に繊維問題で対米輸出規制を日本に求めることを公約に揚げて当選し、日本との協定締結を目指していたという事情があった。日本側は、当然のことながら、繊維業界を中心として反対論が根強く、交渉は難航していた。71年に入ると米側は一方的な輸入規制に動き、日本は譲歩を余儀なくされる状況にあった。
 担当の通産大臣は宮沢喜一氏がいわば投げ出した後、田中角栄氏が登場し、強力に業界との折衝に当った。
 もともと労働集約型の繊維産業は日本のお家芸で、戦前においても、生糸絹織物は輸出品目のトップに位置していたし、生糸は米国女性の靴下として大きな需要があった。戦後においても経済に占めるウェイトも高く輸出規制は業界にとって死活問題となるだけに対米輸出規制は容易なことでは実現できなかった。
 田中通産大臣は何としても日米繊維交渉を仕上げたいという強い意向を持っていたが、業界を納得させるためには、紡機、織機の買い上げを中心とする対策を是非実現しなければならないということで、大蔵省に対し総額1500億円の規模の予算を要求してきたのである。
 当時、私は、主計局長として折衝に当たったが、一般会計の歳出予算だけでは対応し切れないので、財政投融資も大いに活用することにしたが、大きな問題は紡機・織機の買い上げにあった。
 戦後のいわゆるガチャマンの時代は過ぎていたし、紡機、織機は登録制になっていたが、ヤミの機械が少なからず存在していてそれをも買上げ対象にして貰わなければ承知できない、というのが業界の態度であった。
 私は、そもそも無登録のヤミ機械を買い上げることは不合理だし、又、切角買上げで台数を減らしても、後から又ヤミ機が発生するようではナンセンスであるから、今後新たに機械が増えないように機械のメーカーに対し厳重な監督を行い、機械は更新用以外の生産を認めないように強く規制することを要請した。
 折衝は甚だ難航したが、ヤミ機の買上げは一度限りどうしても認めてくれという強い要求があったので、日米繊維交渉を纏めるためには止むを得ないと決断したのである。
 結局、昭和46年5月21日「対米繊維輸出自主規制等に係る特別措置」について閣議了解により講じられた措置は次のとおりで、総額1278億円、うち一般会計502億円となった。
予定された予算関連措置の内容は、次のとおりとされている。

@ 過剰設備の大幅買上げ(織機等39千台、全額国庫負担) 377億円
A 長期低金利運転資金融資と信用補完
イ) 政府系中小企業金融3機関の融資 650億円
ロ) 金融債の資金運用部引受による長期信用銀行からの中堅企業に対する融資 100億円
ハ) イ)及びロ)の融資を円滑化するための信用補完措置 9億円
ニ) イ)及びロ)の融資についての金利負担軽減措置 43億円
B 繊維産業構造改善基金の創設 10億円
C 中小企業高度化資金の返済繰延べ 89億円
計 総額 1278億円
うち一般会計 502億円


 ともあれ、この措置で日米繊維交渉は一応妥結することになったのである。
 ところで、新聞は密約がある、極秘メモはその証拠だというふうにセンセーショナルな書き方をしているが、あのいわゆるメモは正式の文書ではなく、飽くまでもメモに過ぎないし、あの程度のメモはその内容からみても決して秘密の約束ごとのように思えない。「糸を売って縄を買った」という言葉で知られているし、うまいフレーズだとは思うが、対米交渉において譲らざるをえなかったのは、その後も日米貿易摩擦解消というスローガンで実施された数々の事例に徹しても珍しいことではない。経済の世界においても伸びようとすれば、時々譲らざるを得ないのは致し方ないのではなかろうか。
 諸賢いかがお考えか。


相沢英之