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活動報告
大蔵週報 地声寸言『儲からない道は要らないのか』

 揮発油税など道路特定財源の暫定税率存廃をめぐる議論については、二月二十二日のこの欄でも意見を述べておいたが、この間(二月二十一日)の衆議院の予算委員会における質疑を聞いていて、どうも納得できないやり取りがあったので、再び、この問題に觸れることにした。
 というのは、民主党の馬淵議員の質問に対して、冬柴国交大臣が費用対効果が一を切ったら着手しませんと言い切ったことである。つまり、費用を上回るような効果が出ない道路は一本も作らないという決意を表明したのである。
 聞いていて私は、質問者の馬淵議員に誘い込まれて、ついあゝいう答弁をして了ったのかな、といささか同情したが、同時に、大臣もよくわかっていないな、あんな答弁をしたら、今後にっちもさっちも行かなくなるのぢゃないか、と思ったのである。
 もし、本当に、その原則で道路を作るか、作らないかを厳密に審査をして行ったら、恐らく、かなりの道路計画は落第するのではないか、と思う。
 反語的に言えば、費用が効果を上回るような、詰り儲からないような道路であるからこそ国や地方公共団体のような公的機関が作らなければならないので、どんどん儲かるようなものなら、何も国や地方公共団体が作る必要はなく、民間に権限を与えて(実はこれが大問題なのだが)作りたいものに作らせればいいではないか、ということになる。道路は、例え、当面、或いは暫らく儲からなくても、その地域の経済に、住民の生活に必要とあらば、作らざるをえないし、作って一向に差支えないのではないか。
 そもそも道は天下の公道であって、本来ただで通行することが出来るものであり、そうでなければならない。ただ、料金を払っても、早く走りたい人のために有料道路を建設しているのである。従って、有料道路は、ある期間を経過し、料金収入で道路建設費を充分に償還できれば、その時期から開放し、通行料金はタダにすべきものなのである。それで、古いところでは戸塚のワンマン道路や西船橋、天草五橋もて一般の国道として開放されることになった。
 ただ、そういう他と区分が出来、いわば單発的なものは別として、例えば高速道路三社(ネクスコ三社)の道路は皆繋っているし、その限りでは、延長道路全体として償還されるまでは、首都圏及び阪神圏を除き原則としてキロ当りは同一料金で計算をしていたのである。従って、東名のように交通量の多いところは充分以上に採算が合うが、北海道地方のような、いわば過疎的な地域を走っている道路は採算が合わない。しかし、プラス、マイナス、相補って行けばいいのであって、一部分の道路を採り上げて、儲からないから、それはダメというようなことを言っていたら、全国的な高速道路網などは出来上る筈はないではないか。
 ここで、嘗ての国鉄を思い出す。軍事的な理由もあったと言われているが、どんな片田舎にも汽車が走れるように鉄道のレールが敷かれた。なかには、随分、政治的な理由などにって変なルートにレールが曲げられることもあったが、とにかく全国、どんなところとまでは行かないが、かなり辺鄙なところにも鉄道が通じるようになった。
 それが、国鉄の赤字を膨張させ、財政負担に耐えられなかったので、全くの不採算線は切り離されてその存廃を各地方公共団体の選択に委され、国鉄本体も七社に分割され、収益を競うようにされたのである。
 もともと、最も儲かりそうなころに私鉄の敷設が許可されたので、私鉄は儲かって当り前、国鉄は地方赤字線の維持という大へんなハンディをもともと背負っていたのである。それに強力な労働組合の経営に対する全くの不協力など原因はいろいろあったが、本質的に国鉄は儲るようにスタートはしていなかったと思う。それが国営企業の使命であり、宿命であった。
 高速道路三社も国鉄と同じ様な本質を持っている。それを、ただ儲からないからという理由だけで、路線の存廃を喋喋するのは不見識と言わざるをえない。ましてや、国費を注入してはならないなんて言うのは全く高速道路三社の使命を理解していない半ちくの識者のしたり顔に過ぎないと思う。
 そうは言うものの、道路公団が無数の下請、孫請の会社を作り上げ、パーキング・エリアやサービス・エリアの利権を身内に囲い込み、本体が赤字で悩んでいるのに、これらの寄生虫のような存在がぬくぬくとして黒字を溜めているというような現象をいいと言っているわけではないこと勿論である。
 それらの業務を競争入札にすると言うから注目していたら、こういう業務を何年以上やった経験のあるものに入札資格を限定すると言って、結局、実質随意契約にして、他からは入り込めないようにしているなどのけしからんこともする。
 第一、高速道路三社は営業努力が足らない。前にもこの欄で述べたが、如何にして売上げを伸ばし、経費を合理化するかの努力の跡が見えない。だから、私が、高速道の建設は土地収用などの関係もあるから高速道路三社が直接実施するとしても、その運営は民間に委せるべきだと主張したのは、そういう実質を踏まえての主張である。
 高速道路三社が第二の国鉄になるのではないか、と案じている人がいる。無理もない。私も同じ見方である。
 だが然し、高速道路三社の使命は存している。全体として損をしてはならないが、儲るところだけを、効果対費用が一以上のところだけの道路を作るというのは、全く間違っている。冬柴国交大臣は発言を訂正すべきである。
 儲らない道も作るべきである、と思うが読者諸賢如何に。(相沢英之)