相沢英之公式サイト
活動報告
大蔵週報 1063号 地声寸言『道路はもう要らないのか』

 つい先だってゼネコンK社の役員に会ったら明日からチュニジアに行くという。チュニジアで四〇〇キロの高速道の建設を日本の数社と請負ったという片側三車線で、かなり起伏があり、トンネル八本を含むなかなかの工事だという。
 建設費の総額約五、四〇〇億円で、何年で完成する予定かと聞けば四年と一寸であるという。今やバカ高のオイルの産出国だからできると言って了えばそれだけであるが、産油国だけではなく、中国やインドなどのインフラ整備も想像以上な急ピッチらしい。
 ところで、私の旧選擧区鳥取県の東と西の中核都市鳥取と米子を結ぶ高速道は未だに出来上らない。県都鳥取と姫路を結ぶ姫鳥線でこそ完成は四年先という。道路公団による高速道の計画を変更したためである。前にも述べたが、公団に一般財源を投入することを止めるというバカなことを決定しておきながら、計画はそのままにしてあちこち国の直轄事業で細ぎれにハメ込んで道路建設をするという。全国に遲れた高速道の建設に貧乏県が県費をつき合わさせられるのだからグチの一つも言いたくなるのは当り前ではないか。そんなことをするくらいなら、道路公団に一般財源を入れて、償還対象となる建設コストを引き下げ、切れ切れの有料道路を繋げて一ペン切符代を払えば済むようにしたら車を走らせるのにも余程便宜ではないか。
 昭和二十五年の春、当時のGHQ(駐留軍司令部)の將校二人とシボレーで東京から国道一号を京都まで走ったことがあった。途中興津の水口屋で一泊し、翌朝から九時間かけて京都に着いた。袋井の辺で道路が修理中で森の石松の森を迂回して行ったが、全線殆んど無舗装のでこぼこの道。殆んど車が走っていないからいいようなもののもうもうと砂塵を捲き上げて走って行った。道路標識もまちまちで、名古屋へ十キロという標識を過ぎるも間もなく走ると名古屋へ十三キロと出ている。どっちを向いて走っているのかと將校殿は怒る。名古屋の町中では京都へ行く道がわからず一時間も迷って了った。將校殿は喉が渇いたといってビール瓶を片手に飲みながらの運転である。今から考えれば嘘みたいな国道一号であった。
 その六年後、私は、米国とヨーロッパ各国の予算編成制度の調査で二ヶ月の長期出張を命じられた。総務課の主計官であった。
 米国は片側三、四車線の広い道路が縦横に走っていたし、イギリスはどんな片田舎にも狭いながら完全に舗装された道が通り、ドイツはヒットラーのアウトバーンをビュンビュンベンツがすっ飛んでいた。
 戦争で鍋釜まで供出し、銅士像やお寺の梵鐘まで潰さされ、国力の限りを盡して戦い、敗けた後はとにもかくも雨露を凌ぐことから始めなければならなかった日本が道路の整備に力を裂くことは難しかったにせよ、戦中戦後放置された道路の建設にどれだけ苦労しなければならなかったか。
 東名高速も愛知用水などと同じく世銀の借款で賄わなければならなかった。田中角栄氏の列島改造論で全国に新幹線とともに高速道路を張りめぐらす計画は、後に批判されるようになったが、当時は、とくに発展途上地域を双手を擧げて大歓迎をしたではないか。
 世の中は変るものである。それは否定すべくもないが、さて、道路ももう金を注ぎ込む必要がなくなったのだろうか。
 昭和三十九年に東京オリンピックが開かれた。そのインフラ整備に青山通りとなっているオリンピック道路などの建設が急がされた。赤坂見附の辺はメーター六〇〇万円と言われ、眼を剥いたものだが遮二無二造ったものである。あゝいうことがなかったら、都心の道はもっともっと混雑を続けていただろう。
 一昨年の正月、日本エジプト友好議員連盟の会長をしていた私は、後任の会長の高村氏(現外相)と一緒にエジプトを訪問した。ルクソールやアブ・シンベルとナイルの上流の地域を訪ねた後二千年の古都アレキサンドリアに走った。三〇〇キロの道を片道二時間であった。世界最古最大と言われていたが、火災に遭って再建された図書館で本当に素晴らしい美人に、クレオパトラはこういう女性だったかと思われるような美人の司書に出遭った。そう言えば、クレオパトラはアレキサンドリアに住んでいた筈だ。それも道路のお蔭だと言えば笑われるに違いないが、とにかく、アフリカの国々もインフラ整備と言えばまず道路に港湾、空港という交通施設が先ではないだろうか。
 日本よりも道路整備の進んでいない国も数多あるだろう。といっても、日本の道路はまだまだ整備しなければならないことも事実であろう。
 道路整備をめぐって揮発油税の暫定税率が大問題となっている。地方団体の財源問題としても、全国の自治体から採り上げられて財源確保が要請されているが、広範な種類の公共事業のなかでも道路が特に大事だと思われているのは、それが、住民の日常生活と、経済活動に直結しているからに外ならない。他の公共投資を削っても道路費と言うのは、單に利権のためではない。
 大都市圏は比較的に道路の整備が進んでいる。電車や地下鉄などの公共交通機関にも恵まれている。しかし、一歩、地方へ行けば、モータリゼーションの時代だ、なんていう表現では収まり切れない、もっと切に車がないと生きられない地域となる。
 一リッターに二五円は惜しいから、ガソリンは安い方がいいに決っている。が、デコボコ道を走ってガソリンをムダに消費するマイナスも忘れてはならない。あのようにガソリンを撒き散らす大きな車を走らせていた米国でさえ、省エネ低燃費の車に偏って来ているという。ハイブリッド車も結構だが、もっともっとガスを食わない車を走らせるようにしてガソリンの消費を抑えることも必要だろう。もっとも、余りガソリンを使わなくて、税金が入らなくなっても困るが。
 ともあれ、道路はまだまだ大事である。一リットル二五円ぐらい、大局的に判断して、支払っていただき、大いに道路整備を進めたらいいと思うが、読者諸賢如何に。
(相沢英之)