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活動報告
大蔵週報 平成20年1月25日(金) 地声寸言『独法改革の行方』

 迷走する独立行政法人の改革は昨十二月の二十一日に持ち越された。渡辺行政改革担当相の独走振りについては、関係各省からの反発も強く、渡辺大臣から電話をしても相手の大臣が会おうともしないという、まことにお粗末な折衝状況に業を煮やした官邸側が出動し、町村官房長官が最終案を取り纏めることになった。
 新聞報道によれば、「この問題は官邸でまとめる。行革相はもう相手にしなくていい、と首相官邸から各省庁にひそかに指示が下った」という。(十二月二十一日、日経)。
 どうも、渡辺行革相が相手の省庁に対してじっくり根回しをして話を進めるというやり方ではなく、マスコミ受けを狙い、有識者会議がまとめた結論を一方的に提示し、テレビ番組で批判を繰り広げるという手法に走っていることに対して、関係各省大臣からは感情的とも思える反対意見が出されていた。
 まだ政治家として経験の乏しい大臣であるだけに、諸先輩である各省大臣を相手にして大へん御苦労であったと思われるが、「あれは政治家というより役人そのものだ」というような不必要に人を刺戟するような言辞を繰り返していたことに対する反感も、改革案に対する反対の裏に潜んでいたとすれば、渡辺改革相にとってはまことに不本意なことであったろうが、本人も反省を要する点ではなかろうか。
 首相も「もう一汗、二汗かいてほしい」と言いながらも、内心では早々に見切りをつけていたようで、「今の大臣は経験がないと、力で役所を抑えようとする。特に若い人はそういうことがあってはいけない」とあるテレビ番組で、渡辺氏の手法を暗に批判したという(同上、日経)。
 もっとも、そういうことを言われるなら、行革相に任命する時に、もっと考えておかなければならなかったのではないか、と言いたい気もする。
 もともと、こういう各省大臣が嫌がることを進めるポストの大臣としては、できれば、政治歴も豊かな、重みのある人を任命しておかなければならないのではなかったか。独法改革にしても、何にしても、行政改革というと、直ぐ機構の改変、縮少、人員の削減といった各省庁の最も反対する仕事になるが、それを進めるためには、担当する大臣を誰にするかということをよく考えておかなければならなかった、と言えよう。ある意味では、渡辺氏には気の毒なポストであった、とも思われる。
 いずれにしても、官邸主導で最終的に決定した独法の改革案は、廃止・民営化等六法人、統合・一六法人を六法人に、非公務員化二法人などであって、渡辺行革相の当初の意気込みからすれば、ほんとに小規模の改革でしかないことになった。数合せに過ぎない統合、非公務員化などは改革の名に値するものだろうか。
 行政改革というのは、そもそも、時代の変化に沿い、そのニーズに対応して行政組織の存廃、改変を進めるところに意義がある。独立行政法人についてもそうであって、事情を必ずしも知らない民間の有識者なるものの意見を尊重して、改変することが目的であるような改革を進めるべきではないと考える。民間の有識者はそれぞれの立場を持っている人が多い。その立場に都合の良いような行政改革を提案する恐れも充分ある。
 長いこと行政を担当して来た官僚が検討に検討を重ねて作り上げて来た機構にも、既に時代に即しないものもあり、即しない点もあるだろう。そういう点は改めなければならないが、単に今まで続いて来た、存して来たというだけの理由をもって、その改変を提案するのは、正に改変のための政変の意見に過ぎないのではないか。
 といって、私は、行革自体を否定するものではない。独立行政法人も今あるままが最良であると考えているわけではない。ただ、一〇一法人あるのは多すぎるから、何とか民営化を含めて減らすべきだという意見には賛成しかねる。ましてや、行革相と各相との折衝の遅れにしびれを切らせたかの如く、官邸筋から、行革は数合せだ、とにかく数を減らすべきだ、というので実体はともかく、いくつかの独立行政法人を合併して、数を減らすことを進めるべきだと言うに至っては、それこそ見せかけだけを独法行革に堕することになって了う。
 私はかつて主計局にいた時、建設省が住宅公団の他に宅地公団を創ることを提案して来た際に積極的に賛成した。というのも、住宅公団は宅地の造成も行うことになっているに拘わらず、公団住宅の敷地を確保するのに精一杯であって、とても、民間に宅地として供給するような土地の確保をしていなかった。
 土地さえあれば、その上に家を建てることは何でもない。しかし、土地の取得のためには、収用時の適用ができるにも拘わらず、面倒な仕事であるだけに住宅公団は不熱心であった。それで、土地の取得を専らの仕事とする宅地公団の設立に賛成し、なおかつ、五〇キロ、一〇〇キロと都心から離れた土地を一括取得し、そこと都心とを結ぶ高速道、高速鉄道の建設も実施できる権限を持たせることにしたのである。そうすれば、一挙に比較的安い広大な宅地を確保できるだろうと考えたからである。
 この構想は殆んど実現されなかった。バブルが去ったことも影響している。
 行革は組織を削ること、やめることにばかり意義があるわけではない。時には、古いものをやめる代りに、時代の要望する新しいものを作ることも改革である。
 そういう面で独立行政法人の改革も考えるべきであって、徒らに、数を減らし、民営化を進めることにのみ行革の意義を考えているとしたら、とんだ思い違いであることを認識すべきであると考えるが、読者諸賢如何に思われるか。