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活動報告
大蔵週報 平成18年2月3日(金) 地声寸言『脅威の国か』

 去年の六月、初めて大連に行った。私が会長をしている「全国まき網協会」の関係の仕事で、この頃日本近海でかなり多くとれている小型のさばなどを輸出しているが、その事業を促進しようという目的であった。
 戦前の満州(中国の東北地方)の長春(当時の新京)、審陽(当時の奉天)に軍の関係で行ったことがあるだけで、大連は初めてであった。
 戦前大連のことは、高校の友人の話や書き物ではある程度承知していたが、今回行って見て、余りにもイメージと違った近代的な大都市となっていることにまさに一驚を喫したのである。
 人口五百八十万と言えば、東京に次ぐ大都市となる。ビルやマンションがどんどん建てられている。車もオンボロ車を含めて、とにかく数は多い。
 上海、漢口は数年程前に五十年ぶりに訪れて、その発展ぶりに感嘆したが、こと十年程北京には行っていない。大へんな変りようで、年々歳々近代化し膨張していると聞かされている。
 中国が日本にとって脅威となるとか、ならないとかいう議論があるが、人口減が始まっていて、このまま進めば、二一〇〇年には四一〇九万五千人、二二〇〇年には八五二万人となって了うと言われている(人口動態統計)日本にとって、やがては一五億人になると言われ、又、毎年一〇%に近い経済成長を果して来た中国が脅威にならないとは到底考えられない。単に経済力だけではない、軍事力においても、相当な力瘤を入れている中国だけに。
 戦前中国には一年余ほど主計将校として従軍していた。北京の北支方面軍司令部を振り出しに、総軍司令部、武漢防衛軍(後に第三十四軍)司令部(途中第十二旅団司令部)と命令によって勤務場所が変った。
 とくに漢口では、対日置送物資の調達業務を担当する軍経理部で鉄・非鉄の収買、全調達物資の梱包、輸送を担当していた。
 儲備銀行券による支払いであったが、月々というより日々物価の上昇、貨幣価値の下落が続いて、猛然なインフレ状態に陥っていただけに、調達価格の設定は困難を極めていた。
 日本軍の占領地域は点と線(ポイント・アンド・ライン)と言われていたが、鉄道沿線の警備すら致るところをゲリラに脅かされ、鉄道の、駅の守備隊もよくゲリラに襲われた。
 そんな状況のなかでも、あらゆる物資の調達は商社の手によって進められていた。商社マンは日本軍の占領地域外でも、どこでもアメーバのように入り込んで商売をしてくる。国民党軍や共産党軍ととも取り引きして物資を買い、運び出してくる。その際、丁度関税のように一定のパーセントを支払ってくる。それで安全性が確保される。払わないで持ち出そうとして没収された物資を又買わされた例もあった。
 そういう取引きを通じて、とても一筋縄では行かない中国人の柔軟な生き方、そう簡単な論理では割り切れない生き方を感得することができた。商売は駆け引きであることも知らされたし、又、値段の交渉で、散々値切った上で、又にしようと言っても決して怒らないで、ニーサン又ねといった調子で快く承知してくれる度量(本心は違うかも知れないが)には、単純な日本人的な接客態度とは全く違う、商売の上手さ加減を知らされた。
 中国の国境を越えて溢れ出た人口が華僑として東南アジアを中心に商圏を拡げ、深く根付き、商売だけではない、あらゆる分野において羽を伸ばし、活躍しているのを見る度に、この民族の底知れない生活力の強さを思わざるをえない。
 日中戦争の原因などについて論じる積りはない。が、少なくとも戦線を拡大する必要はなかったと思うし、又、途中でストップする好機は幾度かあったのではないか。泥沼を足をつっ込んで抜けなくなった如く、顧みれば全く不毛の戦禍を互いに招いたことは、本当に残念なことである。
 南京の大虐殺の存在などは信じ得ないが、少なくとも戦争で中国人に多くの被害を与えたことは間違いない。
 しかし、それも過去のことだ。今は、この因縁深い中国と不即不離の関係を保ちつつ、お互いの国益を護りつつ、協力できる未来へ向って進み、充分打算が働らいていい大人の関係を保って行けばいいのではなかろうか。読者諸賢如何に考えられるか。