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活動報告
大蔵週報 平成16年3月11日(金) 地声寸言『ゴミ対策を考えて(一)』

 産業廃棄物(以下、産廃という)の処理は、本当に頭の痛い問題である。考えてみると、昔は、産廃に限らず、一般的にゴミの処理はそんなに大きな問題ではなかった。
 家庭のゴミは、今のように選別もくそもなかった。毎日清掃作業員がゴミ車を曳いてとりに来る。ゴミ箱の蓋を開けて中味を取り出し、残ったものも二つの板切れで挟んでキレイに片付けてくれたから、それで済んでいた。
 そのゴミがどこへ行ったかは無論知らなかったし、気にもしなかった。取りに来るときは「チリン、チリン」と鈴を鳴らしていたように記憶している。
 壊れた鍋・釜など金気のものは作業員が選り分けていたし、新聞、雑誌の類も別にしていた。いずれも金になるものであった。
 もっとも、こういうものは。「屑屋」が毎日のように買いに回っていた。「くずい、くずい」と独特の鍛えてよく通る音が聞こえてくると、あちこちから「くずやさん」と声がかかる。くず屋は大抵リアカーを曳いていた。腰に差した天秤が商売道具で、軍手をはめた手で錘を棒の目盛りにそって動かしていた。
 余計なことだが、あの頃は物売りの声が多かった。今に残っているのは、石焼き芋や棹竹売りぐらいなものであろうか。
 ゴミなら何でも家の前に置いておけば作業員が持って行ってくれたし、使えそうなものは古道具屋に行けば直ぐとりに来てくれた。古道具屋はとれた金具をつけたり、サンドペーパーで磨いてニスを塗り変えたりして、然るべき値段で店頭に出していた。
 学生が入学して下宿などという時は、古道具屋へ行けば大ていのものは安く揃えられた。要らなくなったら、又、呼んで来て、今度は引き取って貰うのである。
 あの手の古道具屋は一時余りはやらなくなった。飽食時代は又飽物(?)時代であって、何でも使い捨て、家具などはいい例であって、修理を頼んでも大抵断られる。直すより新しい物を買う方が安いですよ、と来て、新品を薦められる。
 「消費は美徳」だなんて言葉も現れた。
 地球温暖化など世間一般の話題にもならなかった。地球が暖かくなって来たことは確かに実感がある。私も東京や横浜で育っているが、昔は年に何べんも一尺(三十センチ)以上の雪が積った。例のニ・ニ六事件の朝も大雪を蹴っての舞台の蜂起であった。
 地球温暖化の問題が真剣に採り上げられるようになったのは人智の進歩によるが、その大本の原因は無際限な物の消費である。文明の進歩は天然資源の消費をすさまじい勢いで加速した。石炭を掘り、油やガスを汲み、鉄や非鉄の金属を取り出し、森林を切って砂漠化を促進した。
 その結果が地球温暖化の急激な促進であり、それが人類の将来の破滅に繋がるとあれば、本当に真剣に全地球的規模で対策を考え、実行しなければならない。
 去るニ月十六日、遂にコップ・スリーの京都議定書の発効となった。消費大国の米国などが加入していないのは、まことに遺憾なことであって、いささか身勝手過ぎる大国意識と非難したい。
 ところで、地球温暖化の阻止にはエネルギー消費の節減が必要である限り、廃棄物を減らすと同時にその活用リサイクルを促進しなければならない。それも全地球的規模においてである。というのも、日頃眼にする廃棄物の中には、十分利用可能なものが随分多く含まれている。中古車などもそうで、金を出さなければ処分できないような車でも、外国では充分走り回ることが可能なために山のように貨物船に積まれて海を渡って行くではないか。
 何故か変に取締りを強化し、買いに来た外国人の上陸を阻止したり、制限したりしないで、ドンドン売ってやったらどうか。
 車に限らない。外国にゴミを輸出するのはけしからぬと騒いでいる役所もあるが、日本のゴミが外国では立派に再生、活用されるならば、お互いに大へん結構なことではないのか。
 家電製品なども同様であって、充分使用可能なものが棄てられている。
 どうだろう、こういう大型、中型の廃棄物は場所を決めて、そこなら誰が棄ててもいいようにし、又、同時に、そこから誰が何を持っていってもいいようにしたら、かなり片づく面もある気がする。
 問題は、そういう場所を何処に作り、誰が管理をするかであるが、少なくとも市町村ではなく、都道府県、要すれば国が責任を持ったらいいと思う。
 少々車の距離ががあっても、他へ影響のない山中、廃棄物の保管に伴う危険を充分に予防しうる場所を作っておけば、安心して利用されると思う。ビクビクしながら、夜中に人の家の前に棄てるようなことを防げるだけでもいいではないか。(つづく)